アメリカへの移民キャラバンの記事


こんな記事を読みまして、

中米からアメリカを目指す数千人規模のキャラバン、そして、その一部がアメリカ国境に到着したと報じられた。

そのメンバーの大半をなすのがホンジュラス人だ。貧困や暴力から逃れてきた彼らは、アメリカで難民として保護されることを願って、ゆっくりとメキシコを北上している。

一体なにが起きているのか?アメリカのヴァッサー大学地理学准教授のジョセフ・ネビンズ氏が解説する。

トランプ大統領は、このキャラバンには犯罪者やテロリストが紛れているなどと批判し、キャラバンはアメリカに対する「攻撃」や「襲来」であると主張。

だがトランプの言葉は、この移民たちの特性や動機を正確に言い当てているわけではなく、多くのメディアが彼の誤った主張に反論している。

そしていま、この問題をめぐる主流の見解は、「移民の原因は、移民の出身国にある」とするものになっている。

だが実際には、移民問題というのは、「移民の排出国と受け入れ国の間に存在するきわめて不均衡かつ搾取的な関係性の現れ」であることが多い。

私は移民や国境警備に関する研究を長年行った結果、ホンジュラスとアメリカの歴史的な関係は、こうした力学の典型例であることを知った。このことを理解するのは、移民政策をより効果的かつ倫理的なものにするうえで大変重要である。


1980年代:アメリカがホンジュラスをモノカルチャー経済に


私がはじめてホンジュラスを訪れたのは1987年のことだ。コマヤグア市内を歩いていると、現地の人の多くは、20代前半の白人で短髪の私のことを米兵だと思った。なぜなら当時は、すぐ近くのパルメロラ空軍基地に数百人の米兵が駐留していたからだ。

私がホンジュラスを訪れるほんの少し前まで、多くの米兵がコマヤグア市内を、なかでも売春婦がいる赤線地区をよく訪れた。

「ホンジュラスにおける米軍のプレゼンス」と「移民の要因がアメリカにある事実」は密接に関係している。それはアメリカのバナナ会社がホンジュラスで活発に事業を展開しだした1890年代にはじまる。


歴史学者のウォルター・ラフィーバーが、著書『必然的な革命──中米における米国』に記しているように、アメリカの企業はホンジュラスに「鉄道を建設し、独自の金融制度を築き、目の回るような勢いで政府高官を買収していった」

その結果、同国のカリブ海沿岸は「外国に支配された飛び地と化し、やがてホンジュラス全土を組織的にモノカルチャー経済にしていった。そしてその富はニューオリンズ、ニューヨーク、後にボストンへと持ち去られていった」

アメリカのバナナ会社は1914年には、ホンジュラスの最も土壌豊かな土地4000㎢を所有していた。1920年代、アメリカの企業はさらに多くの土地を手中に収め、その結果、ホンジュラスの小作人は「自国の土壌豊かな土地を手に入れる望みを失った」とラフィーバーは指摘する。 

それから数十年の間にアメリカの資本は、ホンジュラスの金融や鉱業も支配。これを可能にしたのはホンジュラスの商業界が脆弱だった事実だ。そしてアメリカは自国の権益を守るために1907年と1911年に政治的および軍事的介入を行う。

こうした経緯から、ホンジュラスの支配階級は米政府の支援に依存するようになる。そしてこの支配階級の主な構成員は、いまも昔も軍人である。1960年代半ば、軍は、ラフィーバーの言葉を借りれば、「ホンジュラスで最も発達した政治機関」であり、アメリカはその形成に大きな役割を果たしたのである。

レーガン時代:アメリカによるホンジュラス社会の軍事化


こうした傾向は1980年代のレーガン時代により顕著となる。アメリカの政治的、軍事的政策の影響力は当時きわめて強く、ホンジュラスはよく「米軍艦ホンジュラス号」や「ペンタゴン共和国」と呼ばれた。

レーガン政権は、ホンジュラスの隣国ニカラグアの左翼サンディニスタ政権を倒して、中米の左翼運動を衰退させる政策の一貫として、ホンジュラスに数百人の米兵を"一時的"に駐留させた。

さらにホンジュラス領内で、ニカラグアの反政府勢力「コントラ」の訓練を実施し、ホンジュラスへの軍事支援や武器輸出を増大させていった。

レーガン時代には、米軍とホンジュラス軍の合同軍事基地や施設も多く建設された。こうした動きは、ホンジュラス社会の軍事化を強く推し進めた。その結果、政治的抑圧が強まり、政治的な殺人や行方不明事件、違法な拘留が劇的に増えていった。

レーガン政権はさらに、ホンジュラス経済を再編するうえでも大きな役割を果たした。アメリカは、ホンジュラスの工業製品の輸出に焦点を当てた国内経済改革を強く推進。

またホンジュラスはコーヒーの輸出に大きく依存しているが、アメリカはコーヒーの取引にかかわる規制を撤廃し、コーヒー貿易を不安定化させた。

こうした一連の動きが、、ホンジュラスを外国資本の権益に従順にしていった。外国資本は、ホンジュラスの伝統的な農法を破壊し、すでに脆弱な社会のセイフティーネットをさらに弱体化させる。

この数十年におよぶアメリカのホンジュラスへの関与が、1990年代、大幅に増えはじめたアメリカへのホンジュラス移民のお膳立てをしたのだ。 

ポスト・レーガン時代、ホンジュラス市民は、抑圧的な軍部、著しい人権侵害、蔓延する貧困に苦しめられる。それでも後続政権の自由化志向や草の根の圧力が、民主派勢力の発展を促す。

民主派勢力はたとえば2006年、リベラルな改革主義者であるマヌエル・セラヤの大統領選出に貢献した。セラヤは、最低賃金を引き上げるなど、進歩的な政策を執行。

さらにセラヤは軍事政権時代に書かれた憲法を憲法制定会議に改正させるため、国民投票を実施しようとした。ところが、この試みがホンジュラスの支配階級の怒りを買い、2009年6月、軍部のクーデターによって大統領の座を追われる。

オバマ時代:ヒラリー・クリントン国務長官の矛盾したメッセージ


2009年のクーデターは、他のどんな事象よりもアメリカにおけるホンジュラス移民の増加を説明する。そしてオバマ政権も、この動きを後押しするうえで大きな役割を果たした。

オバマ政権は公式には、セラヤ追放を非難しながらも、それがクーデターによるものであったか否かという判断においては言葉を濁した。クーデターによるものであった場合、アメリカによる支援の大半は打ち切りを意味した。

そんななか当時の国務長官ヒラリー・クリントンは、とりわけ矛盾したメッセージを発信し、セラヤが大統領に復帰することがないよう働きかけた。だがこれはアメリカ、カナダ、中南米、カリブの35カ国が加盟する米州機構の意向とは反するものだった。

そしてクーデターの数ヵ月後、ポスト・クーデター政権を正当化すべく行われ、多くの疑問が残る選挙をクリントンは支持した。

アメリカとホンジュラスの強い軍事関係はいまも続く。麻薬組織との戦いや人道支援という名目のもと、ソトカノ(元パルベロラ)空軍基地には数百人の米兵が駐留する。

歴史学者のダナ・フランクはこう記す。クーデター以来「一連の腐敗した政権が、政府のトップから底辺に至るまで、ホンジュラス中が公然と犯罪に支配されるのを許した」

またトランプ政権は2017年12月、深刻な不正や暴力に特徴づけられた選挙の末に再選したフアン・オルランド・エルナンデス大統領に祝辞を送った。

これはホンジュラスを支配するエリート層が、アメリカの経済的、地政学的権益に貢献する限り、アメリカはホンジュラスの政府高官の汚職には目をつぶるとする、長年の姿勢を維持するものだ。

ホンジュラスでは犯罪組織と麻薬組織と警察は、重複する存在であることが多い。また頻発する政治的な動機に基づく殺人が正当に裁かれることは滅多にない。

2017年、国際的なNPO「グーロバル・ウィットネス」は、ホンジュラスは環境保護関連の活動家が最もよく殺害される国であると報告している。

かつて甚だしく高かった殺人率は、ここ数年、下がってきてはいる。だが多くの若者が国外に逃れる現象が続いていることは、暴力的なギャング集団がいまも都市部の人々を苦しめていることを実証している。



またポスト・クーデター政権は、規制をどんどん撤廃していく自由市場型の資本主義を推進。限られたセイフティーネットを弱体化させることで多くの市民の生活を成り立たなくさせ、格差を広げている。

例えば医療や教育に充てられる予算は減少し、と同時に貧困率は大幅に増加。こうしたことが人々を移民においやる圧力を増大させている。

いま北上している数千人の人々は最終的にどうなるのか。近年の事例が参考になるとすれば、彼らの多くがメキシコに留まることになると思われる。

米南部の国境にたどり着いた人々にトランプ政権がどう応じるかは、まだわからない。

だがその対応にかかわらず、移民の原因を作る上でアメリカが果たした役割は、その政策がもたらした荒廃から逃れる人々に対する「アメリカの責任」に関する倫理的な問いを投げかけている。
 

Text by Jpseph Nevins

日本で移民の是非を考える事と少し違うが、脆弱な情報しか流さない日本のテレビから
では知り得ない情報でした。
そんな日本のマスメディアだけで移民事情を考えていた自分はかなりトランプ寄りで
考えていたしまっていた様です。
やはり自分でちゃんと調べてちゃんと考えないといけないですね。 

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