他人の死を勝手に評価しないで
あるブログで、 【ブログ】「早すぎた」と言われる小林麻央さんの死。「早いか遅いかの判断基準は一体何?」と元新聞記者の〇〇〇〇さんが問いかけます。自身が妻を亡くした時の想いから「周りが勝手に評価しないでほしい」と、遺族への配慮について語ります。 う〜ん、どうなんでしょう?? 人は基本88歳まで生きたらすごいで、それ以前だと早いと普通言うでしょう。普通と言っても今までの自分の50台以上の感覚で、今の30〜40台 以下は違うのかもしれないので普通とは言わないかもしれませんが。自分は!です。 人生って早く終わってしまう人も多いし、長く全うする人も多いです。長いとそれで大往生と言って喜ばれるものです。で、早く終わってしまう事をよかったねとは言われないです。 それはまだまだやる事がたくさんあったのではとみんな思うからじゃないですかね。 その人が何かやり残した事があるなら早すぎたは決して間違った評価にはならないと思いますし。無いならそれは大往生でしょうから早すぎたは間違った評価になると思います。 それを遺族以外は評価するな!ってのはちょっとな考えでは、遺族への配慮って?もちろん遺族の悲しみは深いと思いますが、友人でもその人が好きな人の悲しみは、、、じゃあ自分より浅いと言っているように思えて、ちょっとね〜、、ちょっとと思います。 それだけみんなから愛されていたと言う評価でもあると思えるのですけどね。 ですので、今回の真央さんの死は小さい子供や愛する人を残して旅立ったと言えば、誰もが大往生でよかったねとはならず、早すぎた死と決めても何も不都合はないと思います。誰も悪意を持った意見にはならないと思います。 遺族が!!遺族が!!って言うのは、なんか自分が!自分が!に聞こえてくるのは自分だけでしょうか? 早すぎたと勝手に評価しているのではなく、早すぎたと死を悔やんでくれているので、愛された人だったと奥さんなり恋人なり友人なり親族なりの亡くなった人を他の人みんなで思いを馳せてあげても良いのではないでしょうか。 自分以外は評価するな!ではなく愛する人を評価してくれてありがとうと思う方がいいと思いました。 早死にしたジミ・ヘンドリックスはここ40年で永遠のものとなりましたが、長生きしているジーンシモンズは老害と言われています。長生きがロックミュージシャンにはよ...